2008年08月26日

神との対話より  ニール・ドナルド・ウォルシュ

       魂の目的

自分が何者であるかを学ぶことではなく
(すでに知っているのだから)、思い出すことだ。
そして、ほかのみんなが、何者であるかを思い出すことだ。

だから、ほかのひとにもそれを気づかせること、
思い出すようにしむけることも大きな仕事のひとつだ。

いのちの真実を知っているすばらしい教師はみんな、そうしてきた。

それが、ただひとつの目的だから。 魂の目的だから。


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2008年08月23日

あなたはそれを見る立会人  和尚OSHO

しあわせがやってくる。
思い出しなさい。これもまた過ぎ去ることを。
そのうちにだんだんと、あなたと気分のあいだに距離がつくられる。

あなたはもう気分と自分を同化しない。

あなたはそれを見る立会人となって、
見物人のようにただ見るだけだ。


もうそれに関わることなく、無関心になっている。

つまり、あなたがたのまわりにいる人はすべて鏡だ。
反射し反映しているということだ。
それは彼ら自身の反応であって、
何ひとつあなたに関して語っているのではない。

どうして彼らに語れよう?
あなた自身、自分のことなど何ひとつ知らないのに、
どうして彼らにわかるというのだね? 不可能だ!
彼ら自身だって、自分のことがわからないのに
どうしてあなたのことがわかろうか?
posted by ネオ at 09:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

あなた自身が邪魔  和尚OSHO

憶えておくがいい。
<神>はいつあなたの扉をノックするかわからないと。
よく見ていなかったら、あなたがたは見逃す。

<神>は犬を通してノックすることもあるし、一輪の花でノックすることもある。
鳥が飛び立つ・・・・・・。<神>はそこからノックすることもある。

あなたがたの扉をノックするために、<神>はあらゆる機会を使うのだ。

油断せず心していなさい。
<客>が来たとき、あなたが眠っていることのないように。
<客>があなたの扉をノックするときには、家はすでに<客>のために整えられ、
あなた自身の用意もできているように。
あなたのハートが受け容れる準備ができているように。

心して見ていなさい。目覚めて見ていることで、少しずつエゴは死んでいく。
なぜならエゴとは、ぼんやりしたマインド、
油断しているマインドによってつくられるものだからだ。

見ていることを通じて、立会人のように見ていることを通じて、
エゴは死んでいく。


そして、あなたが死ぬまでなにひとつできはしない。
posted by ネオ at 04:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月21日

あなたが死ぬまでは  和尚OSHO

「私からは何ひとつ得られない」と寛大な人は答える

「そなたが死ぬまでは・・・・・・」
この寛大な人は、使ったのだ。微妙なメッセージを伝えるために、
この状況を使ったのだ。法律家にだまされたわけではない。

「そなたが死ぬまでは、私からは何ひとつ得られない・・・・・・
もちろんこの死はほんものの死ではない。
そなたもほんものの黄金を受けたわけではない。
この世の偽の黄金一片だけだ。
そなたの死が偽なら、私の与えた黄金もまた偽者なのだ。
だが、ともあれこのメッセージを、そなたのハートにとどめておくがいい。
そなたが死ぬまでは、私からは何も得られないことを

このメッセージこそ、スーフィーの逆のメッセージだ。死ぬことこそ!

今あるあなたを死なせなさい。ほんとうのあなたになれるように!

エゴを死なせなさい。<神性>があなたの内に生まれくるように!

過去を死なせなさい。未来にむかってひらくがいい。
すでに知られているものは死なせなさい。
未知なるものがあなたの内に浸透できるように!
思考(マインド)を死なせなさい。

ハートがふたたび息吹いて高鳴りはじめるように!

すっかり失われていた自分のハートをもう一度見つけ出すことができるように!


posted by ネオ at 17:32| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月17日

神と共に!

何のため、何が楽とはそれぞれに、むねのうちにてみせている、
気付き進むは今という

必要と、望む必要、違えてみせる

しらせてくれたと寄せるのも、しらぬくせにと払うのも、
心しだいで理はかわる、

それぞれに、みせるものとは同じでも、
汲み取るところ、またそれぞれ

その先に、みえてくる理をうけとりて、
しっかり腹におさめたならば

神のじざいをみてとれる

段々にみちというは、みえてきた、細いみちとはおもわぬよう

今からは、1の力で、10動く

よきもあしきも同じこと、小さきものの大きさを、
それぞれに腹におさめて進むよう
posted by ネオ at 12:54| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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